お題らしいお題 俺が宿題だ。と混乱する
今週のお題「夏休みの宿題」
蝉が鳴きます。
断末魔の声を上げます。
んほぉ、宿題のドリルのページおおしゅぎで、いっぱいでしゅうううう
ひぎぃっ!!! めくってもめくっても終わらないよおおお ああああ 終わっちゃいましゅ 終わらせてくださいぃぃぃぃ
らめぇっ!そんなにいっぱいあると鉛筆の削り滓溢れちゃいましゅうぅうっ!
っということを休みの最初と最後にやっていました。極端だ。
宿題をその場のテンションで仕上げてしまって9月には困ります。
工作作ります。
アンチにぶっ壊されます。
読書感想文を幻想的に書き過ぎたら呼び出し喰らいました。
(当時の担任がどっかのWebの文章のようなアレな先生だったので遠回りの皮肉を込めて、頭文字、ななめ読み、の文章にした。)
しかし、当時のガキな俺はほとんどの場面は論理的な返しということを知らず、感情的なことしか言わなかったのですが。
その時は違っていて。
*2
「なんで、そこに突っかかるんですかね?先生気にしすぎですよ(笑)」
ということでその日の晩の御飯はピザでした。
つまり、うまかった。
入学から卒業まで世に言うDQNな生徒ではなかった俺だが、VIP待遇でした。
その教師は俺が過去の親の敵か何かのように、俺のすることなす事、重箱の隅をつついて陰湿だったのは覚えています。
その事件以来おとなしくなったのか?ですが。
今後の呼び出しのたびに
俺(1):教師(2〜3)という割合の構図が多くなった。*3
さすがに俺と一緒に呼び出された生徒も、一部の教師も異常と悟ってくれてはいましたけどね。
おかげで他の学校の教師がまともなことを知った、。
そんなわけで、今、夏休みですが。
このお題が宿題のようなもの。
そもそも、宿題のいみを知ると、とりあえずやっておくが答えになるということですよ。いろんな意味で。